読書メモ:事実はなぜ人の意見を変えられないのか
読んだ本
- Title: 事実はなぜ人の意見を変えられないのか
- Author: ターリ・シャーロット、上原直子
tech-blog に書く本なのか微妙な気はするが、人間の考え方を知ることも tech には必要だろうと思ったので書いてみる
memo
はじめに----馬用の巨大注射針
誰かに影響を与えたいとき、何よりもまず自分自身を念頭に置き、自分にとって説得力があるもの、自身の心理状態、欲望、目標などを考えるのだ。しかし当たり前のことだが、目の前にいる人の行動や信念に影響を与えたいのなら、まずその人の頭の中で何が起こっているのかを理解し、その人の脳の働きに寄り添う必要がある
これが全てだが人に影響を与えたいと思ったら、人間の脳の動きを理解しておいた方が良いと思ったのでこの本を読んだ
1 真実で人を説得できるか?(事前の信念)
「この世に確実なものは何もない。死と税金を除いては」
税金がジョークのネタになるのは万国共通か。
2 ルナティックな計画を承認させるには(感情)
顔や目というのはひときわ目立つ刺激であり、特に感情的な表情を浮かべた顔は、見ている者の気持ちを高ぶらせる。
「顔」「表情」は見ている者の感情を揺さぶるためにはやはり重要らしい。 人を動かすためには話している内容以外にも必要な要素が多数あって政治家とかはそのあたりをうまくhackしてるんだなということが実感できる。
3 快楽で動かし、恐怖で凍り付かせる(インセンティブ)
報酬を予測すると、人間の脳は接近を促すのみならず、行動を起こしやすくなるよう設計されている。反対に、喪失への不安は、何もしない状態を引き起こすことが多い
「行動要請」と「脅威」の組み合わせより、「行動要請」と「ポジティブな結果」の組み合わせの方が、変化を導くには有効だった
人を動かすには効果的な組み合わせがある。
- 「行動させたい」→「アメ(報酬)」
- 「行動させたくない」→「ムチ(脅威)」
振り返ってみると、行動させたいのに権威主義でムチを振るって上手くいってないみたいな案件はよく見たのでやっぱりあれは効果的じゃなかったんだな...
4 権限を与えて人を動かす(主体性)
他人の行動を変えたければ、コントロール感を与えるべきだ。主体性を奪われたら、人は怒り、失望し、抵抗するだろ
たとえ選択することに利点がないように見えても、私たちは自分の思うままに決断したがるということ
生物としての人類が、自ら獲得に関わったもの──自らコントロールできるもの──を好むのは、適応のなせる業なのだ
ここで大事なのは「コントロールできる」ことが必要なのではなく「コントロール感」があることなので難しい。実際にコントロールできていてもコントロール感がないとダメだし、コントロールできてなくてもコントロール感があると良いというとても難しい感じ。
影響を及ぼすためには、時にコントロールしたい衝動を乗り越え、代わりに選択肢を与えなくてはならない
これは管理職になってからとても思う。コントロールを手放すという自身のストレスに耐え手を離さないとスケールしたり周りに影響を与えることができない。
5 相手が本当に知りたがっていること(好奇心)
職場でも家庭でも、何か大切なことを伝えなければならないとき、私たちは直感的に相手がそれを聞きたがっていると思いがちである。しかしこの直感は間違っている。命を救うかもしれない情報にさえ注意を払わない人間が、あなたの言うことに耳を傾けるとは考えにくい。相手がどうしたら聞きたい気持ちになるのかを考え直し、それに応じてメッセージを再構成することが必要なのは、人に影響を与える際、聞いてもらうことは絶対に欠かせない要素だからだ
良い知らせが入っている手紙は開封したいが、悪い知らせの入った手紙は投げ捨てたいのと同じことである
どんなに重要なことであっても伝わらないことは多い。 伝えるために伝え方を工夫したり、方法を変えたりすることの大事さが証明されててよかった。
知ることの利点は、不確実なことへの不安を減少できるかもしれない点にあるが、知識の代償は、自分が信じたいことを信じる選択肢を失うことである
あなたが提供しようとしている情報が暗い見通しと結びついていたら、多くの人が聞いてくれないことを覚悟しなければならない
このハードルを越えないと伝えられないということを念頭に置いて、伝え方を考えないといけないのか...
6 ストレスは判断にどんな影響を与えるか?(心の状態)
ストレスを受けると、私たちは危険感知に固執するようになり、うまくいかない可能性に目を向ける。それによって極度に悲観的な見解が生まれ、結果として過度に保守的になってしまう
チームは負け始めると、リスクを最小限にしようとする。バークの仮説によると、監督やコーチは「できるだけ長く試合を引っ張ろうとする。負けチームの監督は、いつか奇跡が起こることを願いながら、全試合を通じてリスクを最小限に抑えるものだ。
いったん脅威を感じると人は否定的な面に着目するようになり、起こり得る問題ばかり考える傾向がある。その結果、リスクを冒すことの方が実際は優れたアプローチである場合でさえ、無難な行動を取る決断を下してしまう。
ストレスを受けるとリスクを取らないことばかりに頭が働いてしまうようなので、リスクにしか目が向かなくなったら自分のストレスを疑った方がいいのかもしれない。 ただこれは人間の性質として備わっているものなので、組織全体がそういう状態に陥っているという可能性も考慮に置いて動かないといけないのかも
人間はおそらく他の動物とは違い、意識して心の目を状況の異なる側面に向け、反射的な反応を克服する力をもっている。
ただ上記の状態も克服できる力は備わっているようなので、心の動きを理解しつつリスクを冒す判断を取ることもできるようだ。
相手の心の状態は、あなたの助言への反応の仕方に影響を及ぼす。だから、こちらの意見と相手の状態は合致している必要がある。
そういった心の状態があるので、それにひきづられて助言が聞き入れられたり聞き入れられなかったりすることがある。まあそういうこともあるかと思うしかなさそう。
7 赤ちゃんはスマホがお好き(他人 その1)
誰とも違っていながらも誰にでも好かれるものを持ちたいという人間の基本的な欲求だ。その矛盾は言うまでもなく、自分は人とは違うと考えたいのに、すぐに周囲の人々の意見や好みを取り入れてしまうところにある。
これはもう禁止カードだろ。 がしかし、そういう心の動きが人間の基本的な欲求だということを理解しておくことは有用そう。
8 「みんなの意見」は本当にすごい?(他人 その2)
「群衆は賢い」という認識が普及したのは、ジェームズ・スロウィッキーの著書『「みんなの意見」は案外正しい』(小高尚子訳 KADOKAWA) が注目された近年である(5)。しかしこの本を注意深く読み進めると、スロウィッキーは自著のタイトルを補足するように、集団が個人よりも賢いのは特定の状況下に限ると読者に警告しているのがわかる。
ただ、この原理は特定の状況下でしか働かないという問題がある。最初に満たされなければならない条件は、独立性だ──群衆を構成する人々の意見は互いに独立していなければならない。しかし本当にそうなのだろう?
個々の意見が独立である場合は個人より群衆の方が賢い、というのを何かに活かせると良さそう。バイアスがかかることが多いので本当に群衆の方が賢いのか?と疑ってかかる方が多いのかもしれないが。
他人の意見を手本にしたり、まとめたり、引き出そうとするとき、まず立ち止まることを忘れてはいけない。私たちは、人々の意見が相互依存やバイアスに侵されている可能性を見積もり、それに従ってどこに重きを置くかを考えることが必要なのだ。ある意味、集団は知恵を含んでいる。
自分の意見も他人の意見もバイアスだったりポジショントークだったりすることを念頭に置いてそれをどう使うか考えないといけない。自覚的にできればいいが、自覚できないことが多そう。ただそれを知っているのと知らないのとでは大きな差が出そう。
9 影響力の未来
それらが奏でる情緒豊かなストーリーは、すんなり理解できて、思い出すのも簡単だ。「従業員は手を洗うこと」という注意書きを次に見つけたら、脅しよりも即時の報酬を与えた方が、人はやる気になることを思い出してほしい。植物に水をやる機会があったら、人に影響を及ぼすには、命令するよりも自分でコントロールさせた方がずっと効き目があることを思い出してほしい。機内安全の説明を聞くときには、悪いことよりも良いことが起こる可能性を強調したメッセージの方が、人々の注意を引きつける力をもっていることを思い出してほしい。この本に登場したキャラクターと、彼らが伝える物語が、あなたの心の片隅で穏やかに生き続け、大切なときにはその顔を覗かせてくれることを切に願っている。
多分この本のエッセンスはこの一文に全て詰まっているので、何か思い出したいときはここから想起すると良さそう。